0を1にする練習というよりかは、マイナスを1にする作業ではある。
引き続きではあるが集中できない。
勉強中にふと対処しなければならないことのアイディアが思い浮かんだ際は、メモをしてその対処を後回しして勉強が中断されるのを防いでいるが、その思いつきがあまりにも多い。
何かをする際に時間をかけてあれこれ考えて準備していくよりも、その直前に考えて行動して結果を出せる方がはるかに集中でき効率的である。社会でも予測不可能な出来事に対して迅速に対応できる人、事前に時間が与えられた場合はその時間を使ってさらに上の結果を求めることができる人は強い。
今までふとした思いつきに頼った生活をしていたが、過集中して良いと判断した時間はただひたすらに目の前にあることに過集中するようにする。
ちなみに思いつきやタスクたちは私の部屋に紙とセロハンテープで貼り付けられている。付箋は落ちる上にメーカーによってばらつきが大きすぎるので信用をしていない。
ちなみにセロハンテープだと(劣化しない限り)跡が残らない、ケーブルに貼れる、紙を上に重ねて貼っても付箋のように粘着部分の面積で文字が隠れることがないなどの利点が多きい。
毎回思うのだが、自分は常識的な慣習を獲得できず、常識的な慣習を獲得しようと痛覚に耐えることはいくらでもできるが、痛覚に耐えることによってまたは痛覚に耐えないことによって周りに迷惑を常にかける。それを補うほどの能力(=いつでも一人で生きていける高い能力)を覚悟を持ってこれから努力して身につけないといけない。いくら悪口を言われようと切ることができない人間にならないと最低限さえ、自分は生きていけないのである。ただ、私が話したことがある人でそのような人はたった1人しかいない。ただ耐えていくしかない。
自分がいくら痛みに耐えようが、それを知らぬある程度の同級生・教師たちは私のことを「犯罪者」「バカ」「腐っている」「幼稚」の言葉のいづれかを日常的に言っていた。すべての他人のバックグラウンドは違うことを知らないのだなと思いつつ、自分もその人のバックグラウンドを知らないのだなと思っていた。
転校してからの最近はそう言ったことも少なくなったので環境が恵まれていたと思っている。